まだまだ生まれて間もない会社ですが、その誕生には私たち社員が大切にしている「想い」が詰まっています。
2005年に週刊アスキーに掲載いただいた「創業物語」をご覧ください。
単なる年表だけでない、転機の中にあって、どのような想いをもって行動してきたのかを知っていただきたいのです。
※週刊アスキー2005/5/31より
(2005年当時の情報に基づく記事ですので、一部現状に合わない表現もございますが、原文を尊重し、そのまま掲載させていただきます。)
世界初のプロダクツを考案 2年半でトップシェアを占めるまでに
ベンチャー企業の目標は、独創的な企画を考えだして出資者を募り、そして最短期間でプロダクツ(製品)を完成させて販売し、IPO(株式公開)することだ。
谷井社長は、すべてやり遂げた。世界初のプロダクツを考えだし、2年半でトップシェアを占めた。
ところが、最後のIPO直前、谷井さんは降りた。会社を売り払ってしまったのである。
上場予定は2000年6月。
「すごかった。熱狂でしたね。今考えたらおかしいって思うくらい。ファミリータイプの2LDKのマンション。廊下に三輪車とかがチョロチョロと走っているところに、黒服の人たちが30分から1時間単位で現れて、大勢押し寄せてきた。管理組合でも問題になりましてね。あの会社は、変な奴ばかり出入りしていて怪しいと」
NTTに入社した谷井さんが、9ヶ月で退社して、仲間2人と取り組んだのは”メーリングリスト”(以下ML)の事業化だった。
「インターネットはコミュニケーションツールとしてものすごく便利だから、絶対サービスとして爆発すると考えたんです。でも、当時はまだ情報を収集するためのツールとしてしか捉えられていなかった。そのギャップにビジネスチャンスがあるんじゃないの? が最初の僕らのワクワク感です」
阪神大震災での友人の死が実業家として人生を歩むきっかけに
'96年に入社したNTTには、当時としては珍しくひとりに1台パソコンがあった。社内はメーリングリストでグループ化されていた。だが、一方で東西分裂が目前に迫っていた。今やっている「ものすごくおもしろい仕事」は、NTTが分割されたら続けられないかもしれない。そこで独立したというのではなく、いったんは大阪の梅田で洋服店を営む家業に戻った。
父親から赤字の梅田店をまかされ、自分の裁量で黒字にした。店の前の喫茶店で通行量をカウントし、品揃えを変えるためイタリアへ買い付けに行きもした。半年で黒字にしたが、メーカーの人と会うと「お父さんのおかげやね」と毎回言われた。嫌だった。親の七光りと言われないためには、ゼロからやるしかない。
大企業への就職、家業の成功と幸福のステップを2度も放り出してしまうことは、昨今の安定志向から見ると異常にさえ映る。しかし、谷井さんには起業家の哲学があり、強烈な体験もあった。阪神大震災による友人の死だ。
「まさか、あいつも明日死ぬとは思ってなかっただろうなぁと。その人間が死んだことを考えると、僕も明日死ぬかもしれないと思って、人生急がなあかんな・・・・・・と」
まだ、神戸大学経営学部の4年生になったばかりの4月、震災から3ヵ月後に事業を立ち上げた。大学の教科書の仲介販売だ。うまくいかなかった。致命的欠落があった。「教科書は新学期と試験前しか売れないんです(笑)」
実業家としての芽吹きだった。
ビジネスの指針は「100万人に100万通りのコミュニケーションを」
一度成功させた会社をIPO直前に売り、再び立ち上げた会社、インデックスデジタルの本社は、梅田や淀屋橋のビジネス街を一望できるビルの15階。クライアントには楽天や伊藤ハムなど、そうそうたる日本のナショナルフラッグが名を連ねる。谷井社長はまだ32歳の若さだが、話は機知に富み、アイデアと説得力に溢れ、感心させられるのは上滑りでない話の重みだ。インデックスデジタルの主要なビジネスは、顧客情報管理(CRM)だ。
「僕たちは"個人情報の銀行"と自分のことを呼んでいますが、預金者からみた銀行の価値は2つある。ひとつは安全だから。あとは運用。わずかですが、金利がつく。個人情報も同じことがいえます」なぜ、個人情報をタンス預金していて平気なの?うまいキャッチフレーズだ。
この4月から施行された個人情報保護法案は"安全"への大きな追い風だが、"運用"にも谷井社長は名キャッチを用意している。「100万人に100万通りのコミュニケーションを」だ。 「講演もたまにさせていただきますが、ベンチャーの話とかで学生の気持ちも盛り上がる。翌日もすごく燃えている。けれど2週間後には、元の生活に戻ってしまうようなんです。でも、もしその中のひとりに『キミな、こうゆう人生を歩まなあかん』と話をすると、その人の人生は変わるんですよ」
やはり、話は1対1でなければ伝わらない。 「1対nには限界があると思ってます。僕らのシステムは幸い1対1をn個作れる。ひとりひとりに対して、違うメールを1回の作業で送れるんです。お客様の状況に応じて違うメールを送れます」
------すごく難しいような・・・・・・。
「難しく聞こえるかもしれませんが、たとえば男性、女性、年配の方には年配者向け、若者には若者向け。グルーピングして、別のコンテンツにはめ込んでいくパズルみたいなものですね。それを顧客データをもとにコンピューターが組み合わせて、バーッとメールを1通、1通作ってくれるんです」
過去4年間、450社との契約という経験から、顧客企業に最適のマーケティングを選び出せるという強みもある。 「(ビルの)上から下までピンポン、ピンポンするような営業」を、社員に課したことはない。 「どちらから最初のコンタクトをとるかで、8割がたビジネスって決まると思うんですよ。やっぱり向こうから話を聞かせて、と言っているところに行って、話をさせてもらう。先方が話を聞いてくださる姿勢ができているから」待ちの営業。
話を聞いているうち、谷井さんの経営資質は家業で培われたのではないかと好奇心を抱いた。
「洋服屋は8割がたアイドリングタイムなんです。10時間の営業時間のうち、接客は2時間くらい。それ以外は何をしているかというと、お客さんに来てもらうために何をするかを考えてるんです。たとえば、お誕生日おめでとうございますという手紙を書く。この延長がうちのシステムなんですよ」
谷井さんは、実家の洋服店でも顧客向けにメールを配信していた。メールは客の時間を奪わず、都合のいい時間に見ることができる。
商店の主人には、もうひとつIT ビジネスに欠かせない資質がある。オリジナリティーだ。 「どうせ真似してるんやろと言われるのが、とてつもなく嫌」
会社設立の目的は株式公開ではなく、顧客の喜びを生み出す仕事をすること
話を'97年に巻き戻す。谷井さんはNTTを退社し、家業に忙しい。 だが、同時にゼロから事業を立ち上げたい。当時、まだNTTに在籍していた仲間2人と始めたML。
「メルマガを無料で発行できるサービスも、日本が世界で初めてスタートさせたんです。で、アメリカや韓国が追随してきた。メール文化って、世界で最も早く日本が花咲かせた文化なんですよ」
NTT時代に便利さはわかっていたが、どうやったら収益があがるかもわからないMLサービス。
協賛広告を集めるためには、一定の規模が必要だ。ワラを吹いて火をおこすような日々が始まる。
「友人2人はNTT、僕は洋服屋で店に行っているので、真夜中しかサービスの運営ができないんです。夜の11時ごろに昼間の仕事が終わって家に帰って、日付が変わる頃にまた出て行く。で、夜中の12時ごろに集まって、メーリングリストのサービスの運営や、ユーザーのサポートをするんです」
海の物とも山の物ともつかないアイデアに2年半。だが、支えたのは強い信念だけではない。
「途中からユーザーとの接点が、すごく楽しくなってきたんです。問い合わせや申し込みをしていただいたときのコメントとかが嬉しくて、それを糧にしてがんばろうと」
大企業ではない。サークル、仲間、飲み会。一般人が顧客だ。
「その仲間で情報を共有したいときに、電話でいうと仲良し電話のメール版みたいな。3人でも5人でも10人でも、ひとつのアドレスを持っていて、そこにメールを投げるとみんなに送られるんです」
MLという世界初の便利なツールは、一般客から喜ばれた。客の喜びは商人の喜びである。
「給料日に各自2万円ずつポケットから出して。当時、給料はマイナス2万円(笑)。それでも、楽しいからやっていたんですよ。
事業のいちばん面白い点について考え そこから生まれたアイデアを商品化
ネットバブル到来の'99年には、顧客数27万人。翌年の2000年、顧客数は87万人に。気がつけば業界トップに立っていた。ベンチャーキャピタルも幹事証券会社も「血眼」になった。公開前、しかし、谷井さんの頭をよぎったのは、「株式公開をするのが目的で会社を作ったわけではない」という思い。目指したのは客の喜びだった。この律儀さも個人商店主に通じるある種の意固地なところだ。
谷井さんは両親から学んだ。「両親とも働いていたので、夕食は夜の10時くらいで、僕も子どもながらに一緒に食べて。話す内容も全部仕事のことなんです」
ありがたかったのは父だ。 「お前ならどうすると聞くんです。一人前に扱ってくれたんですね」
子供のころから商いを考えた。「事業の一番面白いところは何かといろんな事を考えて、多くの人の話を聞いて、情報を混ぜながら、そうかとポロッと出てきたもの。これが商品のコンセプトです。これを形にして、世の中に出して売れるか、反応はどうかを感じるのが、メチャクチャ楽しいんです」
先物取引の概念を考え出したのは、堺の商人だったという。今日の国際的金融商品の先駆けだ。
厳しい商い。手触りから物真似ではないビジネスが生まれる。
気分のいいことではないかい?
その後、私たちは社名を「シナジーマーケティング」に変え、2007年には本当に上場を果たしました。
「今度はなぜ上場したのですか?」とよく聞かれますが、何かが変わったわけではありません。
上場はあくまでお客様のためだと思っています。
私たちのような小さな会社とご契約いただくために、多くの担当者様が苦労されていました。
上司に「シナジーマーケティング?そんな会社知らないぞ。信用できるのか?」と問われ、必死に説得してくださいました。
本来、信頼を得るために努力すべきなのは私たちのはずなのに、その一部をお客様が負担してくださいました。上場することによって、その負担が少しでも軽くなるのであれば、それは本望です。
今後、いくつもの転機を迎えるでしょう。その度に、いつもその「想い」は変わらないでしょう。

